不定期日記(ロンド2代目の映画中心のつぶやきです)

9月19日 「カメラを止めるな!」、モーション・ピクチャーではなかった。一生懸命に作り込んだのはわかるが、映画的場面がまったくない。映画内映画の混乱ぶりはトリュフォーの「アメリカの夜」を観ているし、ワンシーンワンカットはヒッチコックの「ロープ」やオーソン・ウエルズの「黒い罠」もある。ステディカムが普及し、フィルムがデジタル化した時代、その気になれば誰でもワンシーンワンカットはできるだろう。映画史的目配せもなく、学生の卒業制作のような作品に、こんなに観客が入っていいものだろうか。この受けように三谷幸喜を思い出してしまう。「寝ても覚めても」、蓮實さん、煽動し過ぎだと思うが、例のロングショット、僕は怖かった。所々ホラー演出で、彼女が駆け落ちするところから俄然映画が躍動する。東出氏、とうとう代表作をものにした。盆休み、上京すると佐々木(浩久)の新作「呪いの赤襦袢」を上映しているというので上野オークラへ。ここ、有名なハッテン場で上映中にも関わらず、パートナーを探すおじさんたちが、映画ではなく客席を観ながら歩き回っている。足音が耳に残っているが、こっちの方が怖かった。

 

2018年1月2日 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。以下、昨年印象に残ったシネマです(順不同、再鑑賞含む)。

(外国映画)侵入者(ロジャー・コーマン) ハネムーン・キラーズ(レナード・キャッスル) 拳銃の報酬(ロバート・ワイズ) 雀(ウィリアム・ボーディン) パターソン(ジム・ジャームッシュ) ぼくらの家路(エドワード・ベルーガー) アスファルト(サミュエル・ベンシェトリ) マリアンヌ(ロバート・ゼメキス) 獣人島(アール・C・ケントン) ロリ・マドンナ戦争(リチャード・C・サラフィアン) 夕陽の群盗(ロバート・ベントン) セコンド(ジョン・フランケンハイマー) 空の大怪獣Q(ラリー・コーエン) センチュリアン(リチャード・フライシャー) ラスト・ラン(リチャード・フライシャー) 七人の無頼漢(バッド・ベティカー) 反撃の銃弾(バッド・ベティカー) 平原の待伏せ(バッド・ベティカー) ライド・ロンサム(バッド・ベティカー) 帰らざる夜明け(ピエール・グラニエ・ドフェール) 燃えつきた納屋(ジャン・シャポー) ドント・ブリーズ(フェデ・アルバレス) シング・ストリート未来への歌(ジョン・カーニー) 俺たちフィギュアスケーター(ウィル・スペック、ジョシュ・ゴードン) サイレント・パートナー(ダリル・デューク) 狼の死刑宣告(ジェームズ・ワン) バンク・ジョブ(ロジャー・ドナルドソン) イーグル・ジャンプ(デクスター・フレッチャー) ラブリー・ボーン(ピーター・ジャクソン) 生き残るヤツ(アイヴァン・パッサー) ウォーキング・トール(フィル・カールソン) 要塞(フィル・カールソン) 導士下山(チェン・カイコー) ホワイト・バレット(ジョニー・トー) 九龍猟奇殺人事件(フィリップ・ユン) イップマン継承(ウィルソン・イップ) クーリンチェ少年殺人事件(エドワード・ヤン) スーパー!(ジェームズ・ガン) 悪魔の赤ちゃん(ラリー・コーエン) ドクター・モローの島(ドン・テイラー) たたり(ロバート・ワイズ) 死体を売る男(ロバート・ワイズ) 殴られる男(マーク・ロブソン) 悪魔のような女(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー) 蝿男の呪い(ドン・シャープ) 大アマゾンの半魚人(ジャック・アーノルド) クライング・ゲーム(ニール・ジョーダン) ラ・ジュテ(クリス・マルケル) オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(ジム・ジャームッシュ) リミッツ・オブ・コントロール(ジム・ジャームッシュ) ヘルハウス(ジョン・ハフ) キャノンフィルム爆走風雲録(セラ・メダリア) レイジング・ケイン(ブライアン・デ・パルマ) 悪魔のシスター(ブライアン・デ・パルマ) 理由なき反抗(ニコラス・レイ) ペギー・スーの結婚(フランシス・コッポラ) バニー・レイクは行方不明(オットー・プレミンジャー) 海の底(ジョン・フォード) イニスフリー(ホセ・ルイス・ゲリン) 白熱(ラオール・ウオルシュ) ゴングなき戦い(ジョン・ヒューストン) 

(日本映画)Play Back(三宅唱) やくたたず(三宅唱) ディストラクション・ベイビーズ(真利子哲也) NINIFUNI(真利子哲也) 散歩する侵略者(黒沢清) 予兆(黒沢清) アウトレイジ最終章(北野武) ケンとカズ(小路紘史) 彼女がその名を知らない鳥たち(白石和彌) 全員死刑(小林勇貴) 団地(阪本順治) 聖の青春(森義隆) 人斬り市場(西山正輝) 呪怨 白い老女(三宅隆太) 淵に立つ(深田晃司) リップヴァンウィンクルの花嫁(岩井俊二)

 昨年の洋画は「パターソン」が圧倒的によかった。淡々とした日常の中に流れる常に不穏な空気。アダム・ドライヴァーがいつ嫁にブチ切れるのかとハラハラし…。不穏さを言うならばロジャー・コーマン「侵入者」の導入部。ウィリアム・シャトナーの放つ得体の知れぬ人物像。こういうのをアメリカ映画が描くと本当に怖くて、チャールズ・ロートン「狩人の夜」のロバート・ミッチャムに通じる。この不穏な空気が全編に漂うのがレナード・キャッスル「ハネムーン・キラーズ」だった。バッド・ベティカーこそ映画の奇跡。山田宏一さん風に言うならば「あまりに映画的な」。再見してしびれたのはデ・パルマ「レイジング・ケイン」の末期がんの奥さんを看病しつつも、クリスマスの夜に主治医の女医とできてしまう夫の場面。夫と女医が口づけをかわすと、心電図のモニター画面に意識がなかったはずの奥さんの目を見開いた表情が写りこんでいる。瞬間、心停止の音が鳴り響いて…。デ・パルマの「どうよどうよ」の声が聞こえてきそうだがあまりに「映画的」場面。

 今も好きな役者さんだが、70年代のジェフ・ブリッジスは本当によかった。「ロリ・マドンナ戦争」「夕陽の群盗」も素晴らしいし、なんといっても我らがイーストウッド「サンダーボルト」があるではないか。アラン・ドロンで敬遠して観ていなかった「帰らざる夜明け」「燃えつきた納屋」もいい。とくに「帰らざる夜明け」の冒頭、南仏の片田舎でのドロンとシモーヌ・シニョレの出会い方。バスから降りたシニョレがドロンに椅子を運ばせ、仕事を与えるまでのやりとり。髭のドロンが素晴らしい。「キャノンフィルム爆走風雲録」は80年代、ブイブイいっていたキャノン・フィルムのドキュメンタリー。メナハム・ゴーランさんというのも相当な人物だが、ゴダールとは馬が合ったらしく、レストランのナプキンを契約書代わりにしたというエピソードがもう「映画的」。

 マーク・ロブソン「殴られる男」はハンフリー・ボガートの中でも傑作、代表作の部類に入れるべき作品。ロブソンは50年代にこうした作品をものにしながら、その後あまりぱっとしなかった監督で、遺作となった「アバランチ・エクスプレス」(79年)など当時キネ旬で派手に紹介しながらいざ蓋を開けるとひどくしょぼい映画でがっかりしたことを記憶している。ダメだと思っていた監督が初期には優れた作品を撮っていたのかと発見するのが僕の世代の見方になるのだが、フィル・カールソンもその一人になるかもしれない。一人生き残った兵士ロック・ハドソンが子どもたちと力を合わせてナチと戦う「要塞」はけっこういけていて(モリコーネの音楽も素晴らしい)、「いつからアメリカ人はバカになったんだ」とハワード・ホークスに言わしめた「ウォーキング・トール」も僕は嫌いではない。カールソンは「無警察地帯」(55年)はとくに観たい一本。ところでカールソンは「ウィラード」の続編「ベン」も撮っているが、リー・ハーコート・モンゴメリーが少し頭のおかしな少年だと思えば、すうっと観られる。とくに歌の場面。あと昨年はなんといっても「拳銃の報酬」。ガスタンク爆発後、遺体を収容する警官のセリフがスゴすぎて…。

 

2017年12月11日 ホームページの利用期限が終了していたことに気づかず、急遽、代理サービスに移行。ところどころ、使えないところもありますが、少しずつ改善していきます。どうぞよろしくお願いします。

12月10日 「IT」、思ったより観客が入っているので驚いたが、子供たちがピエロに反撃する準備がないのに、幽霊屋敷にとどまる根拠がわからない。そこから全然のれない。「悪魔のような女」を劇場で観られたのはうれしかった。不吉な水のイメージ。冒頭から徹底している。とにかく面白いのは「ディストラクション・ベイビーズ」。真利子哲也、ずっと気になっていた監督だが、見逃していた。柳楽優弥の顔がいい。真利子は「NINIFUNI」がまたいいんだな。「ディストラクション~」で柳楽に一言もしゃべらせなかったら、「EUREKA」級の傑作になったと思うが、「NINIFUNI」の宮崎将にそれをやらせている。その「EUREKA」の宮崎将をキャスティングしてくるのだから関心したが、その対になるキャラクターとして登場したももクロもえらかった。サミュエル・ベンシェトリという方はまったく知らなかったが、ジャン=ルイ・トランティニアンの娘婿という。この監督の「アスファルト」が傑作。フランスの団地もので、阪本順治の「団地」と2本立ても面白い。阪本版は宇宙人が登場するが、サミュエル版は宇宙飛行士が落ちてくる。団地はいわゆる「グランドホテル形式」ものになる。小津さんにも団地は登場するし、千葉泰樹にも「団地・七つの大罪」、日活の団地妻等々映画的ジャンルとしての「団地もの」もありだな。

11月3日 念願の「ロリマドンナ戦争」をようやく観ることができた。ロッド・スタイガーを家長とするフェザー家と、ロバート・ライアンを家長とするガットシャル家の土地をめぐるいがみあい。フェザー家の息子たちにスコット・ウィルソン、エド・ローター、ジェフ・ブリッジス、ランディ・クエイド、ガットシェル家にはゲイリー・ビジー、ポール・コスロがいる。なんたる豪華さ。ポール・コスロなんて聞いて、今喜ぶ方などほとんどいないだろう。冴えない顔に、とうもろこしのてっぺんのようなヘアースタイル。いつも中途で殺される役。そんな役者を映画館の片隅で発見すると目頭が熱くなったものだ。すごかったのはエド・ローター。両肩に翼だけの刺青を入れ、鏡の前で鳥が飛翔するようにばたつかせる。するとエドの耳に「レディースアンドジェントルメーン、今宵紹介するのはメンフィスが生んだ偉大なシンガー…」という司会者の幻聴が聞こえてくる。やおら立ち上がると「センキュー、センキュー」と聴衆におじぎをしながら、演奏が始まる。しかし実際に彼の前にいるのは三頭のブタだけだ。聞こえてくるサウンドと、田舎の光景、貧相な出で立ちとのギャップが大きすぎて、この場面はただひたすら物悲しい。エドは兄のスコット・ウィルソン(ああ、この人もいい役者なんだよなあ)と共に両家が殺し合いを始める決定的なきっかけを作るわけだが、実は兄に依存して生きてきた弱い人間でもあり、兄が死ぬと「明日から生きていけない」と泣き崩れるのだ。そして、終盤に再び歌手になりたいという叶わぬ夢が活かされるエド最後の見せ場があって…。エド・ローターファンにとっては最高の作品ではないだろうか。冒頭とラストに挿入された、愛に溢れていた頃の両家の家族写真が泣ける。

10月28日 最近印象に残ったものを駆け足で。阪本順治「団地」。久しぶりに関西弁が心地よかった。団地とUFOという取り合わせに違和感がないという驚き。これには関西弁の力が大きく働いているのだと思う。フィリップ・ユン「九龍猟奇殺人事件」。「怒り」だの「葛城事件」だの「ぼっちゃん」だの、日本映画の病理的な殺人事件ものはなぜことごとく観ていられないのか。この作品に答えのある気がする。少女が存在している。黒沢清「予兆」。黒沢・高橋洋コンビだと「散歩する侵略者」はこうなりますね。バッド・ベティカー「ライド・ロンサム」。ジェームス・コバーン、スクリーンデビュー作。もうそれだけで観る価値が。ジョン・フランケンハイマーの最高傑作は「セコンド」ではないだろうか。北野武「アウトレイジ 最終章」。まさか再び「ソナチネ」?と不安にさせる導入部。いやいや、パワーゲームのサイはすでにふられている。あとは終幕にひたすら突き進むだけ。いつも疑問符の残るピエール瀧でさえいい。今回とりわけよかったのは金田時男と白竜。横並びに座ると必ず殺されるという法則は踏襲されていなかった。

10月11日 「ハネムーン・キラーズ」に衝撃を受ける。結婚詐欺師のトニー・ロー・ビアンコが被害者となるはずの巨漢看護師に絡め取られるようで、看護師もビアンコを本気で愛しており、相互依存のまま姉か妹を演じつつハネムーンに同行し、殺人を繰り返すという実話。突き放したような視点で、淡々と彼らを捉えるモノクロ映像はドキュメンタリー的ともいえるだろうが、そんな容易な言葉であの尋常ではない空気感を説明できるものではない。1969年の作品というからアメリカン・ニュー・シネマが謳われた時代だが、いま観れば多くの作品が「同時代性」に埋没しがちであるのに対し、「ハネムーン・キラーズ」は時代性など軽く飛び越え、奇跡としかいいようのない「映画」として禍々しい光を放っている。それにしても映画が本職ではないレナード・カッスルという人物がなぜこのような作品を撮れたのだろうか。映画にはときにこのようなことが起こるとしかいいようがない。俳優だが監督ではないチャールズ・ロートンが「狩人の夜」を撮ったように(先日も見返したがやはりすごい)。 ジョニー・トー「ホワイト・バレット」。もうただの銃撃戦を撮るつもりはないトーさん。犯人の一人が病棟の扉を開くとミュージカル的銃撃戦が幕を開ける。ペキンパーを凌ぐスローモーションで、CG使い過ぎではの感もあるが、ここまできたのだなあと感慨深い。ラム・シューがいるだけで幸せな気持ちになる。79年に見逃していた「サイレント・パートナー」、ソフト化されていたので拝見すると、予想外の傑作。ケイパーものの変形で、実によくできている。監督はまったく知らない方だが、脚本はカーティス・ハンソン。きっとこの方の仕掛けでしょう。アイヴァン・パッサーの「生き残るヤツ」もようやく。アメリカン・ニュー・シネマから生き残る1本だ。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー「悪魔のような女」。公開当時、劇場で悲鳴が上がったに違いない。ポール・ヴァーホーヴェン「エル ELLE」。アメリカではなく、フランスで撮ったからいい。フランスの悪女はいい。

9月24日 「散歩する侵略者」、冒頭の車がひっくり返るキメ方が堂に入っている。が、黒沢作品のようで違和感が残るのは舞台原作のせいだろうか。爆笑するシーンも多かったが、原作のセリフのように思える。超売れっ子、長谷川博己がノリノリで楽しい。撮影前、黒沢さんとジョン・カーペンターやカート・ラッセルの話ばかりしていたというが、キャラが「アメリカ」映画でよい。さめざめと感動したのは、ジャームッシュ、「パターソン」。冒頭、あ、奥さんの枕がいつもの青灰色!と思えば、詩の中にも頻繁に登場する。観たことのないアングルで捉えられるパターソンの町並みが素晴らしい。アダム・ドライバーの美しい佇まいを観ているだけで幸福だった。メアリー・ピックフォードの「雀」。沼地を10人の子供と逃走する場面がすごすぎるが、赤ちゃんが天に召された後のピックフォードの表情に、アメリカ国民に絶大な人気を得た理由を垣間見た。子供たちとの逃走シーンは後のチャールズ・ロートン唯一の監督作「狩人の夜」を思い出さずにいられないが、ロートン主演「獣人島」、バート・ランカスターもマーロン・ブランドもロートンには遠く及ばない。実は「パターソン」で、アダム・ドライバー夫妻がこの映画を観に行く場面があるのだが、「獣人島」の持つ映画的禍々しさが、留守をする愛犬マーヴィン(もちろんリー・マーヴィンからとった名前だろう)に伝播し、ドライバーのノートをめちゃめちゃにしたのだと僕は解釈している。ジガ・ヴェルトフ、「カメラを持った男」。電車が映画に登場するだけで興奮してしまう自分は大満足(例:ムルナウ「サンライズ」、ヒッチコック「海外特派員」、ゲリン「シルヴィアのいる街で」、 トー「スリ」、イーストウッド「チェンジリング」)。「人斬り市場」(西山正輝)が予想外に面白かった。雇われ人斬り稼業の主演は藤巻潤だが、城健三朗時代の若山富三郎の殺陣もいいし、それ以上に天知茂の飄々とした明るさの素晴らしさに驚いた。

8月27日 ロバート・ワイズは「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」だけの人ではない。大作よりも地味な犯罪映画やホラー系が断然いい。「拳銃の報酬」を観てつくづくそう思った。「拳銃の報酬」は1959年の作品だが、今でも古さを感じさせない。それだけ時代性ではなく、映画的強度が強い。脚本、脚色はエイブラハム・ポロンスキー。時期的には、赤狩り時代の終わりの始まりの頃にあたるのでクレジットされている。ロバート・ライアンとハリー・ベラフォンテ、つまり白人と黒人の仲間割れは巨大ガスタンク上での対決にまで発展する。ハリー・ベラフォンテは、シドニー・ポワチエよりも遥かに“黒い”役者となり得たはずだが、映画はヒットせず、ベラフォンテも俳優としては活動しなくなってしまう。これは惜しい。ロバート・ワイズ、「たたり」も観直したが、この作品が素晴らしいのはもちろん、ヴァル・リュートン製作のホラー(ここには傑作がたくさん埋まっている)「死体を売る男」や、70年代の「オードリー・ローズ」もよい。 「拳銃の報酬」を観ると、あのラストからジェームズ・キャグニーの「白熱」も再見したくなるのが映画ファンというものだろう。この映画のキャグニーは本当にぶっ飛んでいる。頭痛持ちでマザコンのギャング団首領。受刑中に母親が死んだことを知ると、気がふれたようになるのだが、それは脱獄のための芝居だったというしたたかさ。とはいえ、あのラストの過激さは気がふれているとしか思えない。どなたかが、アメリカの“石川力夫”と形容していたがまったくそのとおり。この作品も映画的強度がすごくてまったく古さを感じない。時代に向けて作れば映画は古びる。“映画”に向けて作られた映画はいつまでも新鮮だ。 稲生平太郎、高橋洋対談が面白いので、ラリー・コーエンを拝見。脚本の暴走という脚本家ならではの視点が参考になるが、「空の大怪獣Q」、くだらなくていいじゃないですか。低予算上等。「シン・ゴジラ」の倍面白い。「蝿男の呪い」は、「蝿男」シリーズ3作目。前2作品とは直接関係はないというが、「転送装置」にとらわれた悲しい一族のサーガである。これこそリメイクしてほしいと思う。ジャック・アーノルドの「大アマゾンの半魚人」は「午前10時の映画祭」で上映してほしい。「ジョーズ」は音楽も含めて相当影響を受けている。女性博士の数メートル下を半魚人が並走して泳ぐ場面。これこそ映画美の極北。やはり低予算上等なのだ。ただし続編はペケ。が、イーストウッドのデビュー作でセリフが3つ程ある。スピルバーグとイーストウッドがここでつながりますか。 低予算上等。お盆休みはバッド・ベティカー、「反撃の銃弾」「七人の無頼漢」「平原の待伏せ」など。「映画」のすべてが詰まった西部劇のさらにエキスを凝縮した「超西部劇」。「許されざる者」をリメイクした日本の監督は根本的にアプローチが間違っていると思う。映画には「プロ」と「アマ」が登場する。プロを描くには背景は必要ない。だからホークスの「リオ・ブラボー」は突然始まる。だからフライシャーの「スパイクス・ギャング」は過程を必要とする。ベティカーは低予算の中で様々捨象し、特別な高みに至ったのではないか。「平原の待伏せ」の幌馬車から女性だけで敵を迎え撃つ場面に泣けた。近作の収穫はドイツ映画「ぼくらの家路」(エドワード・ベルーガー)。母親に捨てられた兄弟。「映画」だった。

8月6日 なんの期待もせずに観た「イーグル・ジャンプ」が、あきれるばかりの面白さ。技術はないが根性だけはある英国人がジャンプ選手を目指して本当にオリンピック選手になってしまうというデタラメのような実話。これをまあ、なんの迷いもなく描くのだが、「アメリカ映画」だけに可能な語り口になっている。フォードやホークスのDNAを感じた。この監督はそんなことは全く意識していないだろうが、逡巡せずデタラメを突き進む話芸はアメリカ映画の特権だろう。クリス・マルケル、「ラ・ジュテ」。写真だけで構成するSF映画。一瞬だけ挿入される女性の実写。あの繊細な光線。10代のときに観たかった。これは10代のうちに観るべき映画だ。マーク・ロブソン、「殴られる男」。ハンフリー・ボガートであり、ゴダールの「勝手にしやがれ」でもある。そして、問題のフィリップ・ヨーダンであり、もちろんレッドパージにも関係してくる。映画史的にも興味深いが、映画自体が大変な傑作! 

7月17日 コルトレーンとビリー・ホリデイ、市川雷蔵、石原裕次郎が亡くなる7月17日とはなんという日なのだろうと、いつも心穏やかではないのだが、今日はジョージ・A・ロメロの訃報が届いてしまった。亡くなったのは16日。本人は“ゾンビ”を撮っているつもりはなかったという「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」が未だ続くゾンビものの元祖といえるが、死者が動くのは相当に怖いこと。死の過程を軽視した安易なゾンビものが続々と登場する中で、ロメロは孤高の存在だった。79年の「ゾンビ」は自分にとって「悪魔のいけにえ」以来の衝撃作で、しかもアクション映画としても痛快。79年は「エイリアン」が公開された年でもあって、後の映画表現に大きな影響を与える作品が出揃っている。そういえば、札幌のタウン誌でその年の邦洋の映画のベスト1を公募するイベントがあって、自分は邦画が「太陽を盗んだ男」(いや、「その後の仁義なき戦い」だったかも)、洋画は「ゾンビ」に投票した。ロメロの近作では西部劇で月夜の決闘をキメてくれる「サバイバル・オブ・ザ・デッド」、そして花火が打ち上がるとゾンビたちがポカンとみとれてなにもできなくなる「ランド・オブ・ザ・デッド」が最高のイメージだった。 最近観た作品では「イップ・マン 継承」のドニー・イエンの師匠っぷりに気品と威厳がありよかった。好調ゼメキスの「マリアンヌ」、映画のメリハリの正しさをみせてくれたし、「ドント・ブリーズ」もいい。自分の小学生時代のトラウマ映画は「世にも怪奇な物語」の第3話「悪魔の首飾り」と「バニー・レイクは行方不明」なのだが、「バニー・レイク」を約45年ぶりに観直した。小学生当時、人形を燃やす場面で密かに腰を抜かしていたのだが、ブランコのあたりが舞台だと思い込んでいた。公園が登場するのは後の話で、いま観ても映画の強度はまったく落ちていない、ブランコの場面こそがメチャメチャ怖い!

5月8日 エドワード・ヤン、「クーリンチェ少年殺人事件」札幌市内はまだ上映中。黙って観に行くしかありません。

4月1日 ミュージシャンとしてデビューしてしまったジョン・カーペンターの「LOST  THEMES」、作曲家としてとのカーペンター節炸裂で、テンションが上がる! 作曲家といっても、いつものアレ、シンセで「ズンズン、ズンズン」と低音を響かせるヤツ。スタジオライヴを見ると不良老人が軽く体を揺さぶりながら「ニューヨーク1997」のテーマを弾き、若手が横でエレキをギュイーンと突き上げてる!かっこいいよ、ロックじゃん。すでに2枚目のCDも発売し、米国ツアー中。日本には…絶対来ないだろう。タワーレコードのロックコーナーに、「ジョン・カーペンター」コーナーがあるのが笑える。 遅ればせながら三宅唱の「Playback」をようやく観ることができた。こんなに面白い映画だったのか。月曜、火曜と続けて観て、細部を確認したいので、昨日はプロジェクターで再見。簡単に言ってしまえば、前半と後半があって、登場人物が同じ場面をもう一度演じ直す映画。が、後半はひとりの登場人物が消えており、母親だった女性はなぜか妻となって登場し、ズレが生じている。余白には死臭が漂っている。もちろん恐怖映画ではない。ひとりの俳優が再生する物語とひとまずはいえるだろう。俳優もよい。主演の村上淳ももちろんよいが、モンジ役の渋川清彦にはまいった。飄々とした軽みがこの作品を支えていると思った。そして三宅唱は女優も綺麗に撮れる人でもあることに驚いた。渡辺真起子、河井青葉、汐見ゆかり、三者三様のとくに横顔の輪郭が印象に残っている。昨年、「the Cockpit」の舞台挨拶で三宅氏を拝見した際は、ラッパーみたいノリの軽いお兄ちゃんという感じだったが、聡明な人なのだろう。でなければ、こんな映画は絶対に撮れない。前作の「やくたたず」がまた素晴らしい。三宅自身が撮影も行った全編札幌ロケ。3人の高校生が雪の中を、キャメラに向かって走り出すファーストシーンだけで、傑作であることを確信できる。札幌の雪をこんなモノクロームでとらえた作品は今までにないだろう。軽トラックの荷台に立ったまま乗る高校生たちの姿に、ああ「映画だなあ」とため息がもれた。 「Playback」を観て、どうしてもニコラス・レイの「理由なき反抗」が観たくなった。視線のドラマがすごいが、階段で親子3人言い合う場面、映画的運動感が爆発している。 今やリチャード・フライシャーの「センチュリアン」も「ラスト・ラン」も観られ、ありがたい。「ラスト・ラン」の車の爆破シーン、はるか昔黒沢さんが「映像のカリスマ」で書いていたが、本当にたった3カット。スゴすぎる。

1月14日 札幌市内のCDショップの中古コーナーがえらいことになっていて数日通いつめ、しかも安いので30枚ほど購入。おかげでここ数日はジャズ漬けの日々。どこかのコレクター(もしくは遺族?)が一気に放出したのだろう。札幌ではあり得ない品揃えになっていた。うわさになったのか、ジャズ界隈の方々も散見した。アケタも何枚か入手。通して聞くと、アケタさん、本当に名曲が多い。“胸かきむしられ系”とよく言われ、いかにも日本人的な旋律がいいのだが、「ALP」などはリズ・オルトラーニかジョルジュ・ドルリューあたりを思い出す美しさ(オルトラーニのバラキのテーマは最高の名曲!それを思い出した)。思えば、アケタさんもそうだが、自称天才の方がワタクシは好きらしく、荒木経惟と谷岡ヤスジもいるのだ。谷岡さんのあの線で爆笑させるセンス。荒木さんは新宿DIGでうれしい誤解をされたことを思い出す。増刷になった中山康樹氏の「ディランを聴け!!」。大きめの帯にディランの文字が隠れ、まるで中山さんがノーベル文学賞を受賞したようで笑える。

      2017年1月1日 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 という訳で昨年印象に残った映画から。昨年はイーストウッドもスピルバーグも黒沢清も観られる年でうれしかったが、最も印象的なのは「キャロル」だろうか。ケイト・ブランシェットにはいつも、目をつけられたら逃れられないような野生動物の凄みを感じるのだが(私のベストは「ハンナ」)、こうした題材で牙や爪を封印したかのような抑えた演技が却って凄みを感じさせ息を呑んだ。トッド・ヘインズは女優を撮る。ダントツのバカバカしさで爆笑の連続だったのは「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」。南東テキサス州立大学の新入野球部員が先輩の車に乗せられると、いきなり全員が歌いだすという冒頭からノリノリで、マリファナ中毒、ギャンブル狂、妄想癖など曲者だらけの野球部員が毎日常識はずれのお祭り騒ぎを繰り広げる。しかし、彼らは単なるバカなのではなく、プロに近い強豪大学の選手で、新学期までのカウントダウンがポイントごとに挿入される。ジョン・ベルーシの「アニマルハウス」などを思い出す素材だが、そこは監督がリチャード・リンクレイター、一筋縄ではいかない展開で軽くは終わらない。「6才のボクが大人になるまで。」は重すぎたので、このくらいがちょうどいいね。残念だったのはジョニー・トー、「香港、華麗なるオフィス・ライフ」。ミュージカルもいけるのは、「スリ」で実証済みだが、まず話が面白いとは思えない(舞台の映画化らしいが)。しかし、セットと演出は洗練の極みという感じで、なぜこれほどのれないのか。ラム・シューも出ていないし。ラム・シューといえば、フルーツ・チャンの「ミッドナイト・アフター」は主役扱いでうれしい。原発がとんでもない扱い方をされる作品だが、日本に近い外国人にはこのように映るのだろう。「ヘイトフル・エイト」はタランティーノ最大の失敗作。理由は簡単、タランティーノのおしゃべりが「論理」になったから。観客に考えさせたら一瞬で「映画」はつまらなくなる。